彩図社文芸部さんが編集されました、『文豪たちの悪口本』を読ませていただきました。
太宰治、中原中也、夏目漱石、永井荷風・・・
一度は名前を目にしたことのある文豪がたの、悪口合戦。
本当に、命懸けで、書き、傷つき、怒っておられた先生方の、生命の結晶。
読んで数日間は、その毒気にやられて、沈没しておりました😅
「悪口」・・・
こんなエッセイを綴ってみました。
言葉の幽霊
悪口は、恐ろしい。言った本人はおろか、言われた方も、そんな悪口をとうに忘れてしまっていたとしても、それは消え去ってはいない。言葉はひとり歩きをする。
私は、トールキンの『指輪物語』を思い起こした。主人公のフロドが、敵の幽鬼に刺される場面だ。敵が主人公を突き刺したのは、魔法の剣だった。敵が逃げ去った後、刃こぼれしたその短剣を拾い上げてみると、剣の刃はみるみるとけて、柄だけを残して煙のように空中に消え去ってしまった。けれども、主人公の傷の中に刃の破片が深く埋まっており、その刃のかけらが、すでに閉じた傷の中へとなおも入り込んで、心臓を突き刺そうとしているのだった。・・・刃は消えてなくなり、傷口も癒えているのに、その奥深くでは致命的な傷を与え続けているのだ。
中学校2年生のときのことだ。その当時、私は成績がよかった。ある日、祖母の家に遊びに行った。そのとき、祖母が父と母にこう言ったのを聞いてしまった。「いつも学年で一番をとっていたら、あの子のためにならない」、と。
私は、気にしたつもりはなかった。そして、そんな悪口を言われたことも忘れてしまっていた。けれど、私の成績は、この頃をピークにどんどん下がっていった。勉強は、積み重ねだから、中学校の勉強を理解していなければ、高校の勉強もついてゆけない。私はそれを引きずって、大学受験になっても成績が悪いままだった。
最近のことだ。ふとした拍子に、その祖母の言葉を思い出した。そして、気がついた。私は無意識に、成績がよくなってはならないと自分に言い聞かせていたことに。優等生であると、傲慢になって、人の気持ちがわからない人間になってしまうから、と。(もちろん、成績の悪さは、私の怠惰が原因なのだけれど。)
言葉の刃は心に一度突き刺さると、ひとりでぐんぐん心の奥底へと突き進んでゆく。そして、その痛みに気がつくのは、とても難しい。悪口とは、まさに言葉の幽鬼である。
さて、「悪口」といえば、どんな思い出があるでしょうか?
書いてみることで、それを乗り越えることができるかもしれません。
ブログの書き方は、スポットセッションからお待ちしております。