「だいじだいじどーこだ?」
絵本の表紙にこう書いてありました。
「どーこだ?」???
わたしは一瞬戸惑いました・・・
「だいじだいじなーんだ?」
だったら、わかります。
けれども、「どーこだ?」というからには、
何か、場所として指し示せることが前提とされているようです。
「だいじだいじ」なものって、これ!と、指し示すことができるものなんでしょうか?
わたしは、プラトンの『ゴルギアス』にある、ソクラテスとソフィストたちの対立を思い起こしました・・・
Contents
人生で大事なものとは? プラトン『ゴルギアス』
『ゴルギアス』(希: Γοργίας、英: Gorgias)は、プラトンの初期の対話篇。副題は「弁論術について」。
弁論術の本質と是非、自然に則った正義の本質や節制と徳の重要性、現実政治のあるべき姿などについて議論がなされている。
出典:ウィキペディア『ゴルギアス(対話篇)』
欲望を満たすこと、権力を得ることこそが、幸福であり、人生の目標だとするソフィストたち。
それにたいして、立派な善き人間こそが幸福であり、徳をおさめることを説くソクラテス。
この対立の構図は、現代でもそのままです。
ソフィストのような価値観に立てば、大事なものは、この肉体の欲望を満たすこと。
多くを所有し、思いのままにする権力を握ること。
すなわち、現世での成功こそが価値のあるものです。
他方、哲学の立場で大事なことは、善く生きること。
すなわち、「自分とは何か?」「なぜ生きているのか?」「生とは何か?」「死とは何か?」「存在とは何か?」等々・・・を問い続けながら、
その真理を体現し、実践することです。
現世での不遇をも恐れず、魂を磨くこと、徳をおさめることに価値をおきます。
ソフィストと哲学者の違いは、いわば、
目に見えるものだけに目を向けるか、
目に見えないものをも見つめるのか、
その視野の違いといったところでしょうか?
人生で大事なものとは? 「だいじだいじ」は?
では、先の絵本『だいじだいじどーこだ?』。
本当に大事なのは、身体でしょうか?
絶対にあってはならないけれど、万が一、この本に指摘されているように、
仮に、子どもたちが大人からプライベートパーツに触れられたり、撮影されたりした場合。
本当に傷ついたのはどこでしょうか?
それは、心ですよね。
人としての尊厳です。
身体はとても大事です!(誤解がありませんよう。)
わたしたちは、この世では、身体を離れて存在することはできませんから。
けれども、それ以前に、心がある。
身体に触れられることを避けるよりもまず先に、自分の気持ちに気がつくこと。
「なんか、いやだな。」
この感じを大事にできること、こちらの方がもっと先です。
だから、「だいじだいじなーに?」
なんでかよくわからなくても、だいすきなおとながいったとしても、
「やだな」
と、ちょっとでもむねのところがモヤモヤしたら、
そのかんじをだいじにしてあげよう!
おこられたってへいちゃらだよ。
じぶんのこころがいちばんだいじなんだから。