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【自分を知る】言葉の意味の不思議
【自分を知る】「ほっぺたが落っこちる」
お餅つきのときのことです。
つきたてのお餅を丸めて、甘いあんこをかけて、子どもに差し出しながら言いました。
「ほーら、ほっぺたが落っこちるくらい、おいしいよ。食べてごらん。」
すると、4歳の息子は、目をまん丸くして答えました。
「ほっぺたが落ちちゃうから、いらない。」
【自分を知る】「おいしい」は知っている
「ほっぺたが落っこちる」は知らなかった息子でしたが、「おいしいよ」とだけ言えばわかりました。
「おいしい」という言葉を教えた覚えはないのに、よく考えたら不思議です。
おそらく、家族と一緒に食事をしているとき、大人が「おいしい」と言って喜んで食べている姿を見て、言葉を覚えたと想像できます。
けれども、「おいしい」というのがどんな感覚なのかは、誰も教えられません。
それなのに、ちゃんと自分が好きなおかずだけを「おいしい」と言えるのです。
どうやって、「おいしい」という感覚を知ったのでしょうか?
【自分を知る】プラトンの想起説
【自分を知る】言葉の意味はどこで知るか
ここでは、古代ギリシアの哲学者、プラトンから探ってみることにします。
プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた[注 1]。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする[1]。
出典:ウィキペディア プラトン
プラトンの『パイドン』のなかに、このようなくだりがあります。
われわれが等しさそのものという概念に到達したのは、また到達しうるのは、視覚、触覚その他の感覚による以外にはない。
・・・
しかもわれわれは、見たり、聞いたり、その他の仕方で感覚しはじめるまえに、等しさそのものが何であるかの知識を得てしまっていたのでなければならない。
・・・
われわれが学ぶということは、もともと自分のものであった知識を再把握することなのではないか。そしてこれを想起と呼んで正しいのではないか。
田中美知太郎編『世界の名著6 プラトンⅠ』(中央公論社、1996年)
ソクラテスによれば、
もともと意味を知っている→見たり聞いたりして知覚する→言葉の意味を思い出す
ということになりそうですね。
【自分を知る】意味の起源から、自分を知る
こう考えますと、息子が「おいしい」という言葉を使えるのは、
「おいしい」の意味 =「おいしい」がどんな感覚なのかを知っていた→好きな料理を食べて味覚が反応した→「おいしい」と言葉で表現した
ということになります。
生まれ落ちて感覚を使いはじめる以前に、あらかじめ意味を知っていなければならない。
とすれば、自分とは、生まれてから死ぬまでの間の存在であるとはいえなくなってきますね・・・
論理の上では。
【自分を知る】まとめ
- プラトンの想起説をもとに考えるとすると、息子が「おいしい」という言葉を使えるのは、あらかじめ知っていた「おいしい」の意味を思い出していたから、ということになります。
- 意味をあらかじめ知っていたとすると、理論上、自分は、生まれる以前から存在していた、ということになるでしょう。
果たして本当にそうなのか、自分で考えてみるしかありませんが・・・