自分を知る

老子から、自分を知る

畑でにんじんの収穫をしていたときのこと。

頭上で、「ピーヒョロロ・・・」と声が聞こえました。

思わず見上げると、カラスが、自分よりも大きなトンビを追い払っているところでした。

ピーヒョロロロ・・・

トンビはカラスに追い返されてゆきました。

 

Contents

【自分を知る】弱の強に勝ち、柔の剛に勝つ

カラスが、体の大きいトンビに勝てるなんて、驚きました。

一見、弱そうなものが、強いものに勝つ。

今日は、中国の思想家老子の言葉から、自分を知ることについて考えてみたいと思います。

 

老子(ろうし)は、中国春秋時代における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする[2]。道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。

 

出典:ウィキペディア 老子

 

ここでは、わかりやすくシンプルにしているので、本来の学問的な意味とずれている場合があります。

 

 

老子の第78章には、次のように書かれています。

天下に水より柔弱なものはないが、堅強(な城)を攻めるには、これに優るものはないのは、誰も水(の柔弱さ)には、どうする手もないからだ。

「弱が強に勝ち、柔が剛に勝つ」ことは、天下に知らない人はないが、実行できる人はない。

 

木村英一ほか訳『世界の大思想1 孔子・孟子・老子・荘子』(河出書房新社、1972年)

 

また、第43章には、こうも書かれています。

天下で、もっとも柔弱なもの(たとえば、水)は、天下でもっとも堅牢な(岸壁の)守備を(侵蝕して)騒動させる。

形のないものは、すきまのないところへも入りこむのである。

だからこそ、無為が有益だと思うのだ。

 

木村英一ほか訳、前掲書

ここでは、石をも穿つ水をたとえに、「柔が剛に勝つ」といわれているようですね。

弱そうなもの=柔軟なもの こそが勝る、ということですね。

 

【自分を知る】老子の「水」とは?

老子は柔弱なものとして、「水」をあげています。

老子にとって、水とは、どのようなものなのでしょう?

 

第8章にズバリこう書かれています。

上等の善は水にたとえられる。

 

木村英一ほか訳、前掲書

上等の善、すなわち、徳といったらよいのでしょうか。

人の嫌がることを引き受けて、人のために行動する。

自分を後回しにして、人に与える。

そういった徳があるおかげで、人望が集まり、争わずに勝つことができる。

 

前述の第43章に、「無為が有益だ」とありましたが、無為というのがキーワードのようですね。

徳とは、無為である者がなす態度や行為のように思われます。

人は無為であったとき、その結果として、徳をなす。

そのとき、そのものは勝つことができるというのですね。

 

自分が求めているものは、何でしょう?

それを一旦手放せたとき、返ってそれが得られているのに気がつくのかもしれません。

「そちらをやめて、こちらをとる」

 

【自分を知る】まとめ

今日は、老子の「弱の強に勝ち、柔の剛に勝つ」から、自分について考えてみました。

老子は、柔弱なものが剛強なものに勝つのだといいます。

水にたとえられる、その柔弱なものというのは、無為の道を知った者の行為=徳のことのように思われます。

無私になって、他人のために行動することで、人生の大切なものが得られるのかもしれません。

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うめとも

田舎で農家のパートをしながら、やんちゃな一人息子の子育てに励むシングルマザー。息子の成長とともに、自分のキャリアを再び考え始める。ドイツ哲学が好き。

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