昨日は、死の形について書いてみましたが・・・
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死に方を考える
ご近所さんに、一人暮らしのおばあちゃまがおります。 健康のため、万歩計を身につけて、毎日欠かさずお散歩をしておられました。 ところが、年が明けて、雪が降ったころから、ぱったりお見かけしなくなりました。 ...
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今日は、死の際に何を思うか、について書こうと思います。
といいますのも、
「どんなに最高っぽく見える成功人生でも、死ぬ間際が不幸なら、良い人生とは言えない。」
と読んだからです。
死ぬ間際・・・そうなんですね 😮
そこで思い出しましたのが、新約聖書の「十人のおとめたちのたとえ」でした。
十人の処女たちのたとえ(じゅうにんのおとめたちのたとえ、英語: The Parable of the Ten Virgins、the Wise and Foolish Virgins)とは、マタイによる福音書(25:1-13)にある、イエス・キリストが語ったたとえ話。
出典:ウィキペディア 十人の処女たちのたとえ
聖書「十人のおとめたちのたとえ」
天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。
そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
だから、目をさましていなさい。
その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
マタイ 25.1-13
このお話を知ったのは、中学校のころだったと思います。
そのときは、そうだよね、いつチャンスが巡ってくるかわからないのだから、あきらめずに努力し続けなくちゃね・・・ぐらいに思っていました。
よく考えてみましたら、これは、いつ天国に入ることになるのかわからないのだから、最後の審判に備えて、魂を磨いておきなさい・・・といった意味でしょうか。
まさに、死に備えておきなさい、ということですね。
死の際に何を思うか
死の間際に、幸福だと思えること。
それがとても重要なようです。
では、どうしたら死の間際でも幸せだと思えるでしょうか?
それは、今この一瞬一瞬に、幸せだと感じられるような生き様をすることなのだそうです。
いつ死んでも幸せ。
そう思えたら、「永遠の幸福」が続くのだそうです。
何もなくても、今の自分が幸せだと思うこと。
そう思えるよう、日々を丁寧に過ごしたいものです。
あなたは、今、幸せですか?
まずは、本当の自分を知ることから。
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