日々雑感

聖母マリアに想いを馳せて

息子が通うような、シュタイナーの幼稚園や保育園では、必ずといってよいほど飾られている絵があります。

ラファエロの「システィーナの聖母」。

聖母マリアさまが、赤ちゃんのイエスさまを抱いているお姿が描かれています。

 

システィーナの聖母』(システィーナのせいぼ、: Madonna Sistina, : Sixtinische Madonna)あるいは『サン・シストの聖母』は、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティが、その晩年1513年から1514年頃に描いた絵画祭壇画の一翼として描かれ、ラファエロが描いた最後の聖母マリアであり、ラファエロが自身だけで完成させた最後の絵画でもある。

出典:ウィキペディア システィーナの聖母

 

ところが、先日、目にしました絵画は、これとは対照的でした。

アンドレア・マンテーニャの「磔刑図」です。

こちらの絵では、十字架に架けられたイエスさまの足元で、嘆き悲しんでおられるマリアさまが描かれていました。

 

アンドレア・マンテーニャAndrea Mantegna, 1431年 - 1506年9月13日)は、イタリアルネサンス期の画家版画家

ゴシック期ルネサンス期のイタリアの絵画は、都市ごとに独自の発達をとげ、シエナ派ヴェネツィア派などと都市の名を冠して分類される。マンテーニャはパドヴァ派の代表格と見なされる画家である。

出典:ウィキペディア アンドレア・マンテーニャ

 

あどけない赤ん坊のころから、成長を見守ってきた子が、人々から痛めつけられ、そして、目の前で苦しんでいる・・・

それをご覧になっているマリアさまの御心のことを思うと、胸が張り裂ける思いがいたします。

 

それでも・・・

それでも、やはり、マリアさまも、そして、イエスさまも、こうなることがわかっていて、やめることはしなかったのだ・・・と思いました。

 

死を超越している

というのでしょうか。

 

たとえ、そのために残酷な刑に処せられることになるとしても、人々のためにやらなければならないことがある、と。

 

個人を超えた役割を生きるとき、こんなにも人は勇敢で、しかも美しくあるのか・・・

と、想いを馳せるのでした。

 

 

 

わたしには、どんな使命があるのだろう?

本当のわたしは、何なのだろう?

ご一緒に、考えてみませんか?

スポットセッションで、お待ちしています。

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うめとも

田舎で農家のパートをしながら、やんちゃな一人息子の子育てに励むシングルマザー。息子の成長とともに、自分のキャリアを再び考え始める。ドイツ哲学が好き。

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