意見がない。
大学院時代、よりによって法学研究科に行ってしまったので、これはたいそう困ったことでした。
憲法にも、刑法にも、いわば、右か左か、みたいな立場がありました。
〇〇学説を支持するのか、△△学説をとるのか、などなど。
一つの立場に固定して、相対する立場を批判しながら論理を展開してゆくのです。
ところが、形而上学にハマってしまったわたしは、法学や政治的な諸問題に対して、一つの立場に立つことができませんでした。
それら諸問題の、そもそものところで立ち止まってしまっていたからです。
憲法のゼミに参加させていただいていたときのこと。
一つの判例をめぐって議論になっていました。
そのとき、教授がおっしゃったことが衝撃でした。
「僕らは、憲法の条文にあることを前提として議論しているからね。
それ以前のことは、考えないんだ。」
Contents
意見を述べるときにやってしまう3つのこと 考えていると思っている
前提以前のことは考えない!
そんなことって、できるんでしょうか?
前提を考える以外に、考えるという単語が使えるのでしょうか??
前提の先のことは、「考えて」いるのではないのじゃないかしら???
批判することは、考えることとは違う気がします。
それは、論理を繋げてゆくことではありますが、
それだけでは、またの名を屁理屈ともいえるわけです、形式ですから。
とくに、こういった政治的な問題で使われる理論というものは、
あらかじめ目指したい状態があって、それを正当化するためのアプローチを理論といっているわけです。
意見を述べるときにやってしまう3つのこと 自分だけが正しいと思っている
ですから、議論は平行線です。
こういった場合に扱われる「正しさ」は、相対的で、人の数だけあって、
それぞれが「正しさ」を互いに主張し続けるからです。
(ゼミは、さながら大人の喧嘩の様相を呈します・・・でも、どこか楽しそう笑)
つまり、そこには、真理は議論されていません。
真理は、誰にとっても「正しい」ことですから。
そう、真理は、前提を問うところにしかないのです。
意見を述べるときにやってしまう3つのこと 意見で何か言ったと思っている
とすれば、真理を扱わない意見というものは、
その人にとっての正しさを語ったものであって、
全ての人にとっての正しさを語るものではありません。
ですから、他の人々にとっては、
何を言ったことにもならない、ということになります。
そこで、わたしは大学院時代、たいそう悩みました・・・
ここでみなさんが真剣にやっていることは、一体何なのだろう?
そこで登場するのが、「コンセンサス」や、「マイノリティ」といった言葉なのだと思っています。
相対的な正しさではありますが、一定数、その正しさを共有する人々がいます。
それが多数にのぼれば、「コンセンサス」
つまり、多くの人々の合意が得られるものだとして、正論とされます。
そのときに、その合意がない「マイノリティ」
つまり、少数派の方々をどう尊重して守ってゆくのか、
といった問題が、法の大切な課題となってゆくのだと思います。
「権利」という概念の登場です。