「ママ、おきて!」
4歳の息子が、朝、わたしを起こしにきます。
いつまでもゴロゴロしているわたしに、
「ママ、なんじにおきるの?」
と、聞いてきました。
「うーん・・・6時。」
とこたえて、ふたたび寝ようとするわたしに、
彼は、めざまし時計を持ってやってきました。
「ママ、もう6じだよ、ほら! だから、お・き・て!!」
「・・・・・・。」
よく見ると、「長針」が、6のところにきています。
息子は、どうやら自分で時計の針をぐるぐる回したようです。
自分で時間を変えられるとは。
おかげで、時計の方は、
針を勝手に回してしまったので、本当の時間がわからなくなりました。
Contents
時間とは? ヘーゲル「自然哲学」
ところで、時間とは何なんでしょう?
ドイツの哲学者ヘーゲルは、こう述べています。
時間は自己外存在の否定的統一として、これまた一つの全く抽象的なもの、観念的なものである。
時間は、存在しながら存在せず、存在しないながらに存在する有であり、直観された成である。
つまり時間は、全く瞬間的な、すなわち、ただちに自己を止揚する区別がそれにもかかわらず同時に、外面的な、すなわち自己にとって外面的な区別として規定せられている、ということである。
ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『エンチュクロペディー』(河出書房新社、1987年)
なんて詩的な表現!
時間の取り留めのなさを、よく取り留めた文章ですね。
エンチクロペディー(独: Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse、哲学体系の百科事典・要綱)は、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770年 - 1831年)の主著。「エンチクロペディー」とはドイツ語で「百科事典」を意味する言葉である。
ヘーゲルがハイデルベルク大学教授時代に、講義に使うために刊行したものである。論理学(小論理学)、自然哲学、精神哲学の3部からなり、あらゆる哲学・知を体系化しようとする壮大な著書である(初版1817年)。その後、本人によって改訂が行われ、さらに逝去後に刊行されたヘーゲル全集版(1839年)では、ヘーゲルの講義筆記(弟子たちが記録したもの)をもとに大幅に増補されている。
出典:ウィキペディア「エンチュクロペディー」
時間とは? 生成消滅する時間
時間とは、一瞬一瞬の現在が、未来から過去へと流れてゆくもの。
この一瞬で否定された今が、つぎの瞬間の今になる。
しかも、その一瞬一瞬を、ひとつひとつ理論的に認識しているわけではないのに、
その流れをわたしたちは、直接わかってしまっている。
どこまでいっても、わたしは今のなかにしかいないのに、
やはり、わたしの外的な言動は過去のものとなってゆく。
そのような感じでしょうか?
息子が、時計が時間ではないということに気がつくのは、いつになるでしょうか。
楽しみに観察したいと思います(笑)