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【自分がわからない】産後うつになって、自分がわからなくなったわたしの経験
子は親の鏡だといわれます。
子育てをしていると、自分のことがわからなくなることが多々あります。
今回は、初めての出産で産後うつになったときのことを書いてみたいと思います。
【自分がわからない】姑に粉ミルクが足りないと言われる
わたしは母乳の出がよくありませんでした。
粉ミルクと混合で育てていました。
産婦人科の助産師さんからは、粉ミルクの量をこの週は何mlまでと、細かく指示を出されていました。
わたしは律儀に、時間と分量を守って与えていました。
ところが、まだお腹が空いていたのでしょう。
赤ちゃんは飲み終えた途端、また泣き出しました。
それを、2階に住んでいた姑がうるさがりました。
姑は、赤ちゃんは泣くものではない、眠っているものだと言いました。
粉ミルクは、赤ちゃんが欲しがるだけ与えるのだと言いました。
現に、夫たち兄弟は、それで立派に育ったのだからと。
わたしはそんなものかと、姑の忠告に従いました。
助産師さんから指示されていた分量ではなく、ミルクを多めに作って、赤ちゃんが飲みたがるだけ飲ませていました。
【自分がわからない】小児科医に粉ミルクをあげすぎだと怒られる
そのうちに、2ヶ月検診がやってきました。
赤ちゃんを一目見た小児科の先生は、開口一番、粉ミルクを与えすぎだと言いました。
体重の増え方が、あまりにも大きすぎる。
肥満になってしまいます、とまで言われました。
わたしは、先生の迫力に驚いて、また粉ミルクの量を減らしはじめました。
けれども、赤ちゃんを泣かせてはなりません。
また姑に何と言われるかわかりません。
粉ミルクを減らすことと、泣かせないこととに、板挟みになってしまいました。
壁に耳あり、障子に目あり
と、ことわざにありますが、わたしには文字通り、部屋の壁も障子も天井も、姑の耳・目に思えてなりませんでした。
【自分がわからない】うつと腱鞘炎になり、できない嫁になる
そのうち、右手が痛くなりだしました。
ドアノブを回すことすら痛くて仕方ありません。
夫に赤ちゃんを預けて、整形外科へ行きました。
腱鞘炎とのことでした。
母乳の出が悪い母親に多いのだそうです。
母乳の出が悪いと、授乳時間が長くなってしまい、手に負担がかかってしまうからです。
腱鞘炎はいつになったら治るのか聞きました。
先生の答えは、「赤ちゃんが立てるようになるまで」でした。
とてもそこまで我慢できない、と思いました。
そのうち、手が痛くて包丁が使えなくなりました。
子育ても、家事もまともにできなくなったわたしに、夫は優しく「実家に帰ったら」と言いました。
そして、里帰りをしました。
その後、夫のいる家に戻ることはありませんでした。
【自分がわからない】産後に自分がわからなくなった原因
産後、どうしてわたしは自分がわからなくなってしまったのでしょうか?
今だから気がついたことがあります。
【自分がわからない】他人を優先した
粉ミルクの量のことなんて、気にしなくてよかった!
今だったら、自分にそう言ってあげるでしょう。
赤ちゃんが元気でいること。
わたしが赤ちゃんと幸せに過ごすこと。
大事なのは、たったこれだけでした。
大事なものを見失うと、いかに世界が複雑になってしまうことか。
そして、周りのものにどれだけ惑わされてしまうことか。
他人の意見には感謝しつつ、赤ちゃんとわたしにとっての幸せな在り方を、まずは考えなければならなかったと思います。
【自分がわからない】情報を鵜呑みにした
助産師さんからの指示。
姑の助言。
小児科医の診断。
それらは相矛盾していました。
けれども、すべて、正しいものでした。
正しいこと = 実現されるべき
この定式は、誤りでした。
正しさは相対的であり、そのときどきの正しさを、自分で考えて判断しなければならなかったのです。
我が子にとっては何が相応しいか、わたしが考えて選ばなければならなかったのです。
【自分がわからない】自分がわからないから抜け出す方法
あのとき、どうしていたらよかったのでしょう?
自分がわからなくなったときの対処法を考えてみます。
【自分がわからない】失敗はするものだと思っておく
他人から、完璧な母と思われようとしていました。
他人から、完璧な嫁と思われようとしていました。
けれども、つい最近まで小娘だった新米ママに、突然そんなことできるはずがありません。
失敗しながら、できるようになってゆくしかないのですから。
結果としての完璧な自分ではなく、そこを目指している過程の自分を認めてあげられたら、と思います。
【自分がわからない】できないことはさっさとあきらめる
母乳は、出ないものは出ません。
赤ちゃんは泣きます、どうしても。
赤ちゃんにも、姑にも、我慢してもらうしかない。
申し訳ないけれど、わたしにだって、どうしようもありません。
割り切って、他のことで恩返しをする。
他人の要求にすべて応えることは不可能だと、知っておくことでした。
【自分がわからない】まとめ
- 産後うつで自分がわからなくなったのは、他人からどう思われるかばかり気にして、大事なものを見失っていたからです。
- そして、様々な人たちがよかれと思って言ったことを、そのまま生真面目に守ろうとしていたからです。
- 今から思えば、そんなとき、どうせ失敗して当たり前だと開き直って、他人の要求に完璧に応えようとしなければよかったのです。
- できないことは降参して、プライドを捨ててしまえば、シンプルなわたしがそこにいられたはずだと思います。