大学院を中退したとき、わたしはどん底でした。
やることがないのに、生きている・・・
とてつもない虚無感に、途方に暮れていました。
今回は、自分がわからなくて苦しかったときのわたしの体験を書いてみます。
Contents
【自分がわからない】キャリアは真っ白、戸籍は真っ黒
【自分がわからない】暇なので結婚してみる
やることもないので、結婚でもしてみるか。
そんなノリで、両親の大反対を押し切って、結婚しました。
何でもよいから、ただただ遠くへ行きたかった。
確執のあった母から、離れたい一心でした。
駆け込み寺ならぬ、駆け込み結婚でした。
【自分がわからない】幸せな離婚をする
初めての子が生まれ、慣れない手つきで抱っこしながら、その安らかな寝顔に見入っていたときでした。
この子を幸せにしてあげなくては。
そう思った途端。
気がついたのです。
この子を幸せにするためには、わたしが幸せでなくてはならないのだと。
もはや、自分なんてどうでもいい、と思えなくなってしまったのです。
そうしたら、自然と、夫のそばにいられなくなってしまったのでした。
かわいい息子を連れて、家を出ました。
いいとこ取りをして、とっとと逃げてきたのでした。
【自分がわからない】自分がわからなくて苦しくなった原因
【自分がわからない】やるべきことから逃げた
大学院を辞めてしまっても、勉強は続けられたはずです。
それなのに、中退したときのつらいことを思い出したくないから、大学図書館が使えないから、などと言い訳をして、勉強をやめてしまいました。
やりたいことは、いつでも、どこでも、やればよい。
なのに、研究することを、仕事や社会的立場と切り離して考えられませんでした。
頭が硬くなっていました。
【自分がわからない】寂しさから逃げた
自分が肯定できなくて、誰でもよいから、そばにいさせてくれる人のところへ行きたかった。
こんなわたしでも、そばにいて欲しいと思ってくれる人がいると思っていました。
これは、相手にも失礼ですね。
同じ波動は、引き寄せ合うといわれます。
誰かがいれば幸せになれるとわたしが思っていたので、相手も同じように、自分の幸せを他人に依存する人でした。
不幸な者同士の結婚だったのでした。
【自分がわからない】自分がわからなくて苦しくなったときの対処法
【自分がわからない】焦らない
人生終わった・・・
と思ったら、しばらく、終わらせておけばよかったのです。
無理矢理、代わりに何かしなくては、と焦ってしまったのでした。
結果的に、たくさんの人にご迷惑をかけてしまいました。
今では、貴重な体験ができてよかったと感謝していますが。
レールからは、まっしぐらに落ちました。
けれど、レールの外は、とても自由でした。
自分の足で歩くのは大変だけれど、自分の行きたいところへどこへでも行くことができる、そう気がつきました。
【自分がわからない】いつでもやり直せると知る
「いつだって、やり直せるわよ」
そう言ってくださった方がいました。
でも、それは絶対に無理だと思っていました。
修士課程が最短で2年、博士課程が3年。
それから、助手、私講師、・・・
教授になるまでのキャリアや、そのためにかかる時間、労力のことを考えると、今の年齢ではここまでできていなければならない。
もはや、元の道には戻れないということがよくわかっていました。
けれども、それは考え方の問題でした。
大学の教授職に就くのは、無理でしょう。
けれども、教授になるのが目標だったのでしょうか?
違います。
勉強がしたかったのです。
それだったら、片田舎で農家のパートをしながらだって、やりたければやればよい。
やっと、頭を柔らかくして考えられるようになりました。
あまりにも、世間から見える肩書きや、立場にこだわっていたのでした。
しかも、今は、息子がいます!
大学にいたときは、わたしが結婚して子どもをもつなんて、これっぽっちも考えたことはありませんでした。
中退したおかげで、子どもをもてて、しかも、今また勉強もできる。
「幸福は、不幸の形をしてやってくる。」
その通りでした。
【自分がわからない】まとめ
自分がわからなくて、自暴自棄になって結婚して、周囲の予想通り、離婚しました。
- それは、自分が本当にやりたいことをやらずに、孤独に耐えられなかったから。
- 焦らないで、今の状況をよく考え、そこでのメリットを活かせたら、必ず道はある。
それを学びました。
自分をあきらめないで!
きっと大丈夫ですから。