知識においての真理は直ちに実践上の真理であり、
実践上の真理は直ちに知識においての真理でなければならぬ。
西田幾多郎『善の研究』
Contents
【哲学をわかりやすく】本を読むより、実践のなかで
わたしは、大学院で哲学の勉強がしたいと思っていましたが、みごとに挫折しました・・・
当時は、一体自分に何が起こったのか、自分でも理解できていませんでした。
大学を卒業したのにまだ働いていないことで、親や親戚からの圧力もありましたし・・・
大学院の学費に加え、将来の就職先がないといった経済的なプレッシャーもありました・・・
けれども、今だからこそ振り返ってみて思うに、心の底の底のどん底では、
実は、自分でも大学院をやめてみたかったんじゃないか、と思うようになりました。
自分の哲学に行き詰まりを感じていたからです。
なぜかといえば、それは、机上の空論だったから。
社会経験も何もなく、実践が伴っていなかったからです。
大学生を終えて、そのまま大学院生になって、運良く教授になれたとしても、
ずーと大学のなかで、本を読んで、論文を書いているだけ・・・
それが見えてしまった。
社会に出て、働いて、自分でお金を稼いで、子育てをして、
そうした経験に基づいたうえでの問題意識をもちたかったのだと思います。
その頃のエピソードは、こちら。
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毒親の影響で自分がわからなくなったとき
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【哲学をわかりやすく】誰かの考えではなく、自分の頭で
哲学、というとどのようなものをイメージされるでしょうか?
ソクラテスとか、カントといった名前が思い浮かぶでしょうか?
人生哲学や成功哲学といった、マインドコントロールのようなものを考えるかもしれませんね。
また、生き方ですとか、認識だという見方もあるようです。
「哲学」は英語で「フィロソフィー」といい、語源は古典ギリシア語の「フィロソフィア」に由来する。
20世紀の神学者ジャン・ルクレール(en:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる[16]。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(羅: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている[17]。
出典:ウィキペディア「哲学」
いずれにしても、哲学は、生きることとは切り離せないもの。
まさに、生活に立脚しているんですね。
哲学とは、この毎日毎日のなかで、
「これはなんだろう?」「何のためにあるのだろう?」と、自分の頭で考えること。
それは、なにも、特別に難しい本を読むことでも、大学で偉い先生方がやることでもなくて、
子育て中のママでも、主婦でも、毎日の生活のなかでできることなんですね。