自分を知る

思うことと、あること。

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【自分を知る】保育園の豆まきで

息子の保育園で、節分の豆まきがありました。

たいそう怖い鬼だったようで、子どもたちは豆を撒くのも忘れて、泣き叫んでいたそうです。

 

家に帰ってきて、ついうっかり息子にこう尋ねました。

「だれが鬼をやったの?園長先生?」

 

すると、息子は、さも恐ろしそうに、ささやき声で言いました。

「ちがうよ。・・・ほんもののおにがきたの。」

 

【自分を知る】理性と現実

【自分を知る】いると思ったら、存在する

息子にとっては、紙のお面、、、、を被った本物の鬼、、、、が、まぎれもなく存在しているのですね。

 

思っているものは、わたしにとって現実である。

そのことを、ドイツの哲学者ヘーゲルは次のような有名な言葉に残しています。

理性的であるものこそ現実的であり、

現実的であるものこそ理性的である。

 

ヘーゲル(藤野渉、赤沢正敏訳)『法の哲学 I』(中央公論新社、2001年)

考えるわたしにとって、考えているそのものは、もっとも身近に存在している。

そして、また、考えるわたしの目に映るものは、どこまでもその意識である。

 

とすると、わたしがあると思っているものは、あると思っているその意識にとって、ということにもなりそうです。

紙のお面を被った本物の鬼が、息子にとってだけ存在するように。

 

ここでは、わかりやすくシンプルにしているので、本来の学問的な意味とずれている場合があります。

 

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツ哲学者である。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテフリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。18世紀後半から19世紀初頭の時代を生き、領邦分立の状態からナポレオンの侵攻を受けてドイツ統一へと向かい始める転換期を歩んだ。

出典:ウィキペディア ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

 

【自分を知る】自分はどこにいる?

たとえば、イヌイットの方に冷蔵庫の写真を見てもらったそうです。

その方は、写真に映ったものを「箱だ」と答えたといいます。

冷蔵庫を知らないイヌイットの方にとって、冷蔵庫は存在しません。

それは、単なる箱でしかないのです。

 

では、冷蔵庫はどこにあるのでしょう?

冷蔵庫を存在させているのは、そこに食品を入れて保存するという役割を認識している意識です。

その「箱」の役割を意識している主体のところに、冷蔵庫は存在するのです。

 

わたしが意識しているものが、現実となっていて、その逆もまた然り。

ということは、自分がここにいると思っているからこそ、わたしが存在する、ともいえそうです。

自分とは、考える意識=理性の産物であるということでしょうか?

 

それはまた、どこまで考えられているか、によって、自分も世界も変わってくるということでもあります。

高次の意識に達することが、自分を知ることにとって重要な鍵となりそうです。

 

【自分を知る】まとめ

今日は、節分の鬼から、現実に存在しているとはどういうことなのか?を考えてみました。

本物の鬼は、いると思っている息子のなかに存在しています。

現実の世界は、どこまでも、わたしの意識のなかにあります。

自分という存在も、今ここで、考えている意識そのものといえるのかもしれません。

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うめとも

田舎で農家のパートをしながら、やんちゃな一人息子の子育てに励むシングルマザー。息子の成長とともに、自分のキャリアを再び考え始める。ドイツ哲学が好き。

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