中野京子さんという方が書かれた『怖い絵 泣く女篇』を読ませていただきました。
怖い絵・・・
というからには、なにかおどろおどろしいものが描かれているのかと思いきや、
ミレーの「晩鐘」ですとか、ルーベンスの「パリスの審判」など、
どこかで目にしたことがあるポピュラーな作品も。
ちょっと安心。
では、どこが「怖い」のでしょう・・・?
それは、その背後に描かれた歴史であり、人間だと思うのです。
Contents
残酷な史実
そう、人間が怖い・・・
たとえば、この本の表紙にもなっている、ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。
イギリス王室の権力争いに敗れた少女が、処刑されようとする場面が描かれています。
なぜわれわれは、同じ人間を殺すのでしょう?
それから、べラスケスの「ラス・メニーナス」。
わたしが本書ではじめて知ったのは、その右下に描かれていた人物たち。
小人症の道化なのだそうです。
このような姿に生まれたがゆえに、「慰み者」という奴隷として宮廷に仕えた方たちがいたのだそうです。
そう、奴隷という存在。
なぜわれわれは、同じ人間でありながら、人間以下として人間扱いしない人々を作り出すのでしょう?
また、不自由は身分の高い方々も同様のようです。
カレーニョ・デ・ミランダ「カルロス二世」。
”高貴な血”に”下賤な血”が混じることを恐れたがために、血族結婚の繰り返しの果てに病むことになってしまったカルロス二世。
なぜ王家の方々は、こんなにも自らを不自由のなかに縛り付けてしまったのでしょう?
自由を奪う支配構造
それは、形は変われども、依然として現代に生きるわれわれにものしかかってくるようです。
神に祝福されて生まれてきたはずのわれわれが、どうして、すでにここにある豊かさを喜びのうちに享受できなくなってしまったのでしょうか?
そこにある、システム。
お金、というカラクリ。
これから、世の中はどうなってしまうのだろう?
未来の子どもたちのために、なにができるのだろう?
幼い息子の安らかな寝顔を見ながら、怖さを感じるのです・・・
これからは、個性が輝く時代です。
あなたらしく、あなただけができる方法で、世の中と関わっていける・・・
そのための一歩を、ご一緒に踏み出してみませんか。
スポットセッションで、お待ちしています。