突然ですが、正しいとは、何なのでしょう?
ご自身の意見は、正しいと思われますか?
それは、他の人にとっても正しいでしょうか?
Contents
【自分がわからない】正しさは相対的
「善」というものとは違って、ある種の「正」というものは、相対的なものなのではないかと思っています・・・
時代や、政治的な状況でも変わってきますし、
立場や、価値観によっても変わってきますし、
同じ人でも、その時々の状況で、その場その場においての正しいあり方は変わってくるのではないかと。
正しさは、相対的なもので、
無数に存在しているのではないかと。
【自分がわからない】正しさは災いのもと
正しさが、いくつもあるとすれば、
正しさと正しさとは、ときにぶつかり合うものです。
そのとき、正しさが、その限りでの正しさでしかないと認識できていれば、
相手の正しさも、認めることができます。
けれども、自分の正しさが、相手にとっても正しいものだと思い込んでしまうと、
争いになってしまうのでしょう。
正しさは、絶対的なものだと。
【自分がわからない】争いになってしまったら
正しさと正しさとがぶつかってしまったら、どうしたらよいでしょうか?
正しさの範囲を見極めることだと思うのです・・・
その正しさは、どういう意味において正しいのか?
逆にいえば、その正しさは、どこから通用しなくなるのか?
その正しさの通用する境界線を見つけられたら、今度は、両方の正しさをいかすことを考えられます・・・
ここまではこちらの考え方で、ここからはあちらの考え方で、というように。
そうやって、新しいものをつくりあげてゆく・・・
まさしく、アウフヘーベンですね。
アウフヘーベンについては、こちらにも。
-
アウフヘーベンとは?
あうふへーべん ・・・聞き慣れない言葉ですね。 アウフヘーベン = aufheben というのは、ドイツ語で「持ち上げる」「上に上げる」といった意味の動詞です。 この言葉を ...
続きを見る
【自分がわからない】まとめ
- 正しさとは、状況や立場によって、さまざまな形で存在しています。
- けれども、一つの正しさに固執してしまうと、そこで衝突が起こってしまいます。
- その正しさがどの文脈における正しさにすぎないのか、一つ上の視点に立てたら、その双方の正しさを実現する方向に進むことができます。
そのためには、自分自身で、自分の考え方を整理することが必要ですね。
どうして、それが正しいと思うのか・・・?
どうして、そういう価値観に至ったのか・・・?
はたして、本当にそれが正しいといえるのか・・・?
スポットセッションでも、自分探しのお手伝いをいたします。