先日は息子の面会交流でした。
彼の父親は遠方に住んでいるので、年に1、2度ほどしか会う機会はありません。
それでも、前回の面会交流で「つぎは10月にあいにくるよ」とお約束していたようで、
4歳の息子はカレンダーを見ながら毎日、「きょう10がつ?」と聞いていました。
それも、ここ最近は聞かなくなったので、面会交流のことなどもう忘れているかと思っていたら、
先週、面会交流の1週間前に突然、「もうパパくる?」と聞いてきたのです。
忘れていなかったんだ!
驚きでした 😀
Contents
忘れるとは? プラトン『饗宴』
忘れる、というのはどういうことなんでしょうか?
プラトンの『饗宴』に、こんな記述がありました。
わたしたちのうちにあってそのあるものは生じ、あるものは滅びていくわけで、わたしたちは知識に関しても、けっして同一不変のものではありません。・・・
忘却は、いうまでもなく知識が逃げだすことであり、復習は、去ってゆく記憶のかわりに新たな記憶をふたたび植えつけ、それによってその知識を保全し、それが同一の知識と思えるような結果をもたらすことなのです。
まこと、こうした方法によって、死すべきものはすべて保全されるわけです。・・・
老廃消滅してゆくものが、かつての自分と同質の新しいものを別にあとに残してゆく、そういう仕方に訴えてです。
このような工夫によって、ソクラテス、死すべきものは、肉体でも何でも、不死にあずかるわけです。
田中美知太郎編『世界の名著6 プラトンⅠ』(中央公論社、1978年)
わたしたちは、神のような永遠の存在ではありません。
肉体もいつか滅びますし、記憶だって、忘れて消えてしまう・・・
けれども、細胞が新しく入れ替わることで、肉体は維持されますし、
記憶も、思い出すことで、新しい記憶をつくることで維持される。
そうやって、古いもののかわりに新しいものをつねに残してゆくことによって、永遠を手に入れることができるということだそうです。
『饗宴』(きょうえん、古希: Συμπόσιον、シュンポシオン、英: Symposium)は、プラトンの中期対話篇の1つ。副題は「エロース(ἔρως、erōs)について」[1][2]。
出典:ウィキペディア「饗宴」
忘れるとは? エロスの衝動
永遠なものを追い求める
それがエロス(恋)の道だと、プラトンは書いています。
死すべきものであるわたしたちは、永遠不死をなるものを求めます。
そこで、新しいものをつくりだすことによって、それを実現させようとするのです。
わたしたちの創作活動の動機の原点には、エロスがあったのですね。
じつは、記憶もしかり。
そのままでは、忘却の彼方に消えてしまうものを、つなぎとめようとして思い出す。
思い出すという行為も、新しい記憶をつくりだすという創作活動ととらえることもできるわけですね。
パパがくる日を覚えていた、4歳の息子。
彼も、一生懸命、毎日パパとの約束を思い出していたのでしょうね。