変わりたいけれど、変われない。
そんなとき、過去のわたしに囚われて、身動きが取れなくなってしまっていたり。
自分のことがわからなくなってしまったら、アウフヘーベンという考え方が役に立つかもしれません。
止揚(しよう、ドイツ語: Aufheben, アウフヘーベン)とは、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともいう。
出典:ウィキペディア 止揚
ここでは、わかりやすくシンプルにしているので、本来の学問的な意味とずれている場合があります。
Contents
【自分がわからない】過去の自分を乗り越える
アウフヘーベンというのは、ドイツの哲学者ヘーゲルが用いた言葉です。
日本語では、「止揚」と訳されることがあります。
弁証法的契機とは・・・有限な諸規定が自ら自己を止揚することであり、またこのような諸規定がそれの反対諸規定へと移行することである。
ヘーゲル(樫山欽四郎ほか訳)『エンチュクロペディー』(河出書房新社、1987年)
「有限な諸規定」=区別を意識している段階、でしょうか。
たとえば、「過去」というものを考えているとき。
おのずと、「今ではないもの」を考えていることになります。
「過去」と「今」とを、区別しています。
「過去」とは、「今」の否定ということにもなります。
こういった区別を意識している段階を乗り越えてゆくこと。
それが、アウフヘーベン(止揚)です。
アウフヘーベンしてわたしを考えるとき、「過去」は、わたしにとって、もはやそれ以上でも以下でもありません。
「過去のわたし」は確かに存在するけれど、それは、「今」との対比においてでしかなくなります。
本当のわたしは、「過去」も「今」も覆い尽くす、もっと大きな存在です。
【自分がわからない】新しい自分
さて、ヘーゲルによれば、「反対諸規定へと移行する」といいます。
区別していた反対のものをも受け入れて、再び一つになる、といったところでしょうか。
「過去」=「今」の否定 を意識していた段階から、アウフヘーベンして、一つ上の意識の段階へ移行したとき。
「過去」も「今」も含み込んだわたし、という存在がみえてきます。
ここでは、「過去」も「今」も肯定しています。
すると、「過去」の囚われから自由になります。
もはや「過去」にはいない、本来のわたしが、自由に「今」を選択できるようになります。
「今」は、この瞬間瞬間に、新しくつくりだされてゆくのです。
【自分がわからない】まとめ
思考が固まってしまったとき、アウフヘーベンという考え方が助けになるかもしれません。
- 変えられない過去にこだわっている意識の段階。
- そこから、一つ上を向いてみる。
- すると、過去は今より前ということ以上のものではなくなって、自由に新しいわたしを選択してゆけるようになります。
アウフヘーベンについては、こちらにも書いてみました。
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アウフヘーベンとは?
あうふへーべん ・・・聞き慣れない言葉ですね。 アウフヘーベン = aufheben というのは、ドイツ語で「持ち上げる」「上に上げる」といった意味の動詞です。 この言葉を ...
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