ご近所さんに、一人暮らしのおばあちゃまがおります。
健康のため、万歩計を身につけて、毎日欠かさずお散歩をしておられました。
ところが、年が明けて、雪が降ったころから、ぱったりお見かけしなくなりました。
「おばあちゃん、どうしているかな?」
息子と心配していたところ・・・
今朝、久しぶりにお見かけしました!
以前と同じように、万歩計を付けて、スタスタ歩いておられました。
お元気そうで、本当によかった・・・
一安心でした 😆
Contents
一人では死ねない?
さて、わたしの心配は、明日は我が身、わたし自身にとっても切実なものです。
人は一人きりで生まれてきて、また死ぬときも一人きりではありますが・・・
やはり、この社会のなかで暮らしている以上、一人で生まれることも、一人で死ぬことも、またできないですね。
生まれてきた赤ちゃんは、お世話をしてくれる人がいなければ、生きてはゆけませんし・・・
死ぬときもまた、お葬式やらお墓やら、手続きをしてもらわなければなりません・・・
自分のこの生命は、自分一人だけのものではないのですね。
でも、家族や親戚にも先立たれていたら・・・?
老人ホームに入るお金もなかったら・・・?
自分の最期をあれこれ心配しはじめました・・・
目に見えない財産
そういえば、尊敬する社長さまが、こんなお話をしてくださったことがあります。
その社長さまのサラリーマン時代のこと。
上司に何と言われようと「重要なところは譲れない」と、常に辞表をポケットに入れて、クビを覚悟しながらお仕事をなさっていたそうです。
そのような攻めの気持ちでいるために、家も借家にして、守るものを最小限にしていたそうです。
でも、それって、ご家族もいらっしゃるのに、とても不安定なのでは?
と、わたしなぞ、ハラハラしてお聴きしておりました。
すると、その社長さま曰く、「常にいろいろな会社から声がかかる状態でいればよい」のだそうです。
日頃から、取引先の業者の方々とも、誠意をもってお付き合いすることなのだそうです。
財産ではなくて、人脈が自分を守ってくれるのですね。
それは、ビジネスでなくても、きっとそう。
お互いに助け合える人と人とのつながりが、最期のときでも、大事なのではと思いました。
「家族は『血』ではなくて、『作る』もの」。
それがどなたでも、あたたかく見送られて逝けたら、理想ですね 😀
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あなたが変われば、周囲の人脈も変わります。
自分を変えるには、まずは、自分を知ることから。
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