日々雑感

苦しくなったら考えてほしいたった1つのこと

朝、息子に靴下を履かせていたとき、泣き出してしまいました・・・

息子も、わたしにつられて泣いていました・・・彼は、なぜわたしが泣いているのか、わけがわからなかったでしょうけれど。

 

苦しみで追いつめられたとき、この感情をどうしたらよいのでしょう?

息をすることさえ、難しく感じられます・・・

 

Contents

苦しくなったら考えてほしいたった1つのこと 苦しみの正体

「あしあと」という詩があります。

 

ある夜、主とともに砂浜を歩いている夢を見ました。

 

暗い夜空には、これまでの自分の人生が映し出され、

どの光景にも、主と自分のふたりのあしあとが残っていました。

 

ところが、人生でもっともつらく、悲しいときの光景が映し出されたとき、

そこには、ひとりのあしあとしかありませんでした。

 

そこで、主にこうたずねました。

「人生で一番あなたを必要としたとき、どうして、わたしを見捨てられたのですか?」

 

主は、こうおこたえになりました。

「わたしはあなたを愛している。

あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていたのだ。」

 

"Footprints," also known as "Footprints in the Sand," is a popular allegorical religious poem. It describes a person who sees two pairs of footprints in the sand, one of which belonged to God and another to him or herself. At some points the two pairs of footprints dwindle to one; it is explained that this is where God carried the protagonist.

出典:ウィキペディア「Footprints(poem)

 

苦しいとき、自我に固執してしまっていると感じます。

狭いところに自分が閉じ込められてしまっている・・・

 

けれども、本当は、そうではないのです。

この詩の主人公が、神に背負われていたように。

 

自分のことしか考えられなくなったとき、苦しみが生じます。

けれども、どうやったら、そこから抜け出せるのでしょうか?

 

苦しくなったら考えてほしいたった1つのこと 苦しんでいるのは誰か?

理論的には、思考を広げることはできます。

 

まず、苦しいという気持ちに気がついたら、

どうして、それを苦しいと思っているのだろう?と考えます。

 

そして、苦しいと思っているのは、誰なんだろう?と進みます。

というのも、苦しいと思っている自分を、なぜ苦しいのだろう?と一歩離れて考えている主体があるからです。

 

つまり、この世のあれこれを超越したところに、自分を見出す。

すると、外側のできごとにいちいち左右されない自分になる。

 

その地点から考えたら、あくまでも苦しいと「思っている」自分がいるだけで、

この「思っている」思い方を変えること、そこに尽きることに気がつきます。

 

 

と、このようにアタマでは、進んでゆくことができるのですが、

ココロがそれについてゆくのには、時間がかかることもある気がします。

 

ゆっくり進むしかないようです。

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うめとも

田舎で農家のパートをしながら、やんちゃな一人息子の子育てに励むシングルマザー。息子の成長とともに、自分のキャリアを再び考え始める。ドイツ哲学が好き。

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